こんにちは、シャイニングフリータです。
(これから私がお話しする「運命」は、「宿命」のニュアンスに近いかもしれません)
自分は良い運命なら信じたいという都合の良いタイプなのですが、
「こうなる運命だったんだよ。。。」なんて言葉は、試合で負けた時、受験で落ちた時とかに使われる気がします。
「どんな運命なんだよ!」と突っ込みたくなる気持ちを抑えつつ、今日は運命について考えます。
※気楽に読んでください(笑)
偶然と必然
「偶然」と「必然」という2つの言葉を考えましょう。
偶然:[名・形動]何の因果関係もなく、予期しないことが起こること。また、そのさま。「偶然の一致」「偶然に見つける」
必然:必ずそうなること。それよりほかになりようのないこと。また、そのさま。
デジタル大辞泉より
あらゆる偶然が重なった結果なのかもしれませんが、運命が決まっているのならば、必然的に起こることと考えてもよさそうです。
運命は必然的に起こること
運命(宿命)は、「必然的に起こること」。
それが良い運命であれば、異論はありません。
ただ、例えば若くして事故で亡くなる方がいたとします。それを運命という言葉で片付けるのは酷に思えます。
私は20代で、まだまだ生きるつもりですが、明日事故で亡くなる可能性だってあります。
そんな時に、「運命だったから仕方ない」などと言われたくはありません。
また、生まれながらにして重度の障がいを持って生まれた方。
教員免許取得に向けての実習などで、障がいを持った方々と接する機会があったのですが、彼らはハンデを乗り越え、障がいと上手く付き合っている印象を受けました。
ですが、障がいを持って生まれたことが運命だったというのはどこか違うように思うのです。
自身が「運命だった」と発言するのは、個人の自由ですし、それを乗り越えて生きる姿からは、勇気をもらえますが、
「そうなるのは運命だった」という考えをすべてに当てはめてしまうと、とても気持ちの悪いことになると感じています。
運命は結果論
「それが運命だった」、「そうなる運命かもしれない」、「運命はいかに」…
「運命」は、起こった結果に対して使われる言葉のようです。
ゲームのように、予言の書があるわけでもありません。
結論として、自分には「運命」があるのかないのかわかりませんが、
ひとつ言えることは、これまでの行動の積み重ねの結果、今の自分があり、
これからの行動によって未来の自分があるということです。
つまり、未来は、これからの自分にかかっていて、その結果が「運命」なのかもしれません。
どんな未来でも「運命」として片付けられてしまうのならば、より良い結果にしたいものですね。
「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」
こんな言葉があります。
私は現在、無職フリーターという社会的に絶望的な地位にいますが、未来は変えられます。
これまでの人生振り返ると、まあ良かったと思えるので、未来もそうしてみせます。
みなさん、共に頑張りましょう。
では。
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