宿題はやって当たり前。選択肢を1つしか持たないことは賢いのか。

宿題とは

こんにちは。シャイニングです。

 

いきなり昔話をしますが、「宿題」と聞くと、どのようなイメージがありますか?

 

学生当時の私は、「宿題は必ずやるもの」と考え、疑うことはありませんでした。

どうせやらないといけないのだからと、授業終わりの休み時間や、昼休みの時間を使って、先に宿題をしていましたね。家では、やる気が出ませんから、勉強モードになっているうちにやってしまった方が効率が良かったです。

 

そんな宿題エピソードはさておき、
最近になって、「私は賢い子どもではなかった」と感じます。
 

宿題を与えられたとき、「宿題をする・しない」という2つの選択肢があってもいいはずです(実際には選択肢は無いのですが、2つの選択肢を思いつくぐらいはできるはずです)。

「ご飯を食べる・食べない」だとか、「具合が悪いけど学校に行く・具合が悪いから学校を休む」というような選択肢を持っていたのに、なぜか「宿題をする・しない」という選択肢を持っていませんでした。

誤解を招くといけませんので、申し上げますが、宿題をやらないことを推奨しているわけではありません

ただ、あの時どうして、宿題はするものだとすんなり受け入れて、疑問に思うこともなく、出された宿題をやり通すことができたのか。その点に疑問を持つことがあります。

積極的選択の結果として、学校に行かない選択をする、少年YouTuberもいるようです(中学校もいかないようですね)。私は、彼の選択が良いのか悪いのか、わかりません。

「義務教育」の観点からすれば、保護者には子どもに教育を受けさせる義務があるはずなので、「学校に行かせない」というのは問題な気がしますが、子どもの選択を尊重し、「いかなくてもいい」というスタンスを取っているなら…

いや、そもそも少年に、学校に行くべきかどうかを選択する程度の能力が備わっているのでしょうか。意思能力が未熟な年齢に、あらゆることを決めさせるのは、子どもの意思を尊重すると言えないでしょう。

議論を始めておいて言うのも何ですが、ちょっとわきに置いといて…

率直にお話すると、「彼(親ではなく少年の方)は賢いなぁ」とも感じたのは事実です。

「学校に行かない」という選択は、僕には思いつきませんでしたし(病気で休むとかは別として…)、そんな勇気ある選択をすることはできませんでした。選択を思いつくということに賢さを感じるのです。

大人の世界で言うと、「会社の人間がみんな言いなりのロボットに見えた。だから、会社いかない。俺が起業して、人間味のある会社を作る!」といったレベルでしょうか。こんな選択をするのは、非常に勇気がいりますし、そもそもそんな選択肢を持っていない人たちが大半ではないかと思います。

 

思い込みは時に自分の選択の幅を狭めてしまう

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二回目でくどいかもしれませんが…

学校へ行かない少年を、それを認める親を、それを非難するコメントなど、何かを推奨したり、非難するつもりはありません。

ただ、思い込みは、時に自分の選択の幅を狭めてしまうということだけは意識しておきたいと思うのです。

不動産業界に勤めていた時、上司に質問をすれば、「こういうもんだから。ごちゃごちゃ考えずに黙って作業してろ!!!」と怒鳴られることもありましたが、そういうもんだと思っていることは、意外と「そういうもんではない」可能性もあるのではないでしょうか。

自分の可能性を狭めず、いつでも柔軟な気持ちで人生を歩んでいきたいものですね。

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