こんにちは。シャイニングフリーターです。
先日シチューのルーを購入しました。
いくつか種類があるので、迷いますね。安い方か、高い方か、いつもは迷わず安い方ですが、その日は高い方を買ってみたんですね。実際に食べてみると、いつもより美味しく感じました。高い方が美味しいだろうと、頭のどこかで考えているからでしょうか。
何はともあれ、美味しかったからいいんです。ホント、ものは考えようで何とでもなるもんだと感じます。
ということで、今日は「ものは考えよう」というテーマで、さらに思い浮かんだ「アンパンマン」をベースにお話してみたいと思います。
上手くいくかわからないので、肩の力を抜いて、読んでくださいね(笑)
まさしくん、ハードル上げんとっておくんなまし~。
アンパンマンをベースに多面的な物事の見方・考え方をしてみよう
アンパンマンと言えば、日本国民が誰しも1度は目にするレベルで有名な国民的アニメヒーローです。
絶対的善のアンパンマンが、悪のバイキンマンを倒す構図ですが、このアニメをあらゆる角度から見つめてみましょう。
アンパンマンという正義のヒーロー
まずは、一般的な見方からです。
アンパンマンは正義のヒーローで、バイキンマンという悪を懲らしめます。
困っている人(動物たち?)を見つければ、自身の身を削って助けようとします。
「空腹というのは本当に辛いことだ」と自身の戦争体験から実感した、やなせたかしさんの信条が反映されているアニメということができるでしょう。
こんな国民的アニメのアンパンマン。私も子どもの頃よく見ていましたが、少しうがった見方をしてみましょう。
絶対的善など存在しない
作中アンパンマンは、絶対的な善として描写されていますが、絶対的な善など存在するのでしょうか。
人が置かれている立場など、ある人にとっては善でも、別の立場から見れば悪になりえます。
アンパンマンも(一応人であると考えて…)、バイキンマンから被害を受けた者たちにとっては正義のヒーローですが、バイキンマン側にしてみれば、計画の邪魔をしてくる存在なわけです。
つまり、絶対的な善というものは存在せず、ある観点から見た「善」の存在であるアンパンマンが、バイキンマンを暴力によって撃退しているアニメとみることができます。
正義のヒーローは武力行使をしてもおとがめなし。そんな国が実際にあったような…気がしなくもないですが…(笑)
暴力による撃退方法は仕方がないこと!?
アンパンマンが暴力を用いている面だけをみれば、バイオレンスなアニメと評される可能性はありますが、武力行使の前に、毎回歩み寄りを見せています。
話し合いによる和解を求めるも、バイキンマンがそれを受け入れようとせず、暴徒化するために、暴力という最終選択を行っているのです。
つまり、本アニメにおいて、暴力は仕方のないことと主張できるかもしれません。
ただし、どんな事情であれ、人が人を殺めてはいけないと言われるように、どんな理由があろうと武力行使をして良いのかという問題提起が付きまとうことには変わりないでしょうが…
絶対的な善と悪という一元論によって語れるアニメではない
アンパンマンは、絶対的な善と悪という2者の存在が目立っています。
では、このアニメは善が悪を懲らしめるという、一元的なテーマに基づいて構成されているのかといわれると、そうではありません。
思い出してみると、「ロールパンナ」という善と悪の両方の心を持ち、そのせいで苦悩・葛藤するキャラクターがいます。
彼女の存在が、善悪の一元論を語るアニメだという見方を否定してくれます。作者のやなせたかしさんは、子供向けのアニメに対しても、物語に深みを持たせる大切さも忘れていらっしゃいませんね(上から目線でごめんなさい)。
多面的な物事の見方・考え方
物事をある観点から見て、それに対する意見を持つというのは比較的簡単なことです。しかし、それだけでは、物事を把握することが難しかったりします。
大切なのは、多面的に物事を見る考え方でしょう。
アンパンマンという、一見子ども向けのアニメからでも、多面的に物事を見ることの大切さを読み取れるのではないかと考え、今回のような投稿をしました。
まさしくん鋭いね~ 「時と場合による」って回答が一番合っていて、一番無責任な答えかもしれないね。
え?なんで?(痛い…)