自己紹介

シャイニングフリーター自己紹介

こんにちは。シャイニングフリーターです。

 

大学卒業後に会社員となり、ごく一般的に想像できる生活を送っていましたが、パワハラを受け、心身体調共に崩壊

 

戻る部署もなく退職し、フリーターとしての生活が始まりました

 

就職を希望していますが、トラウマが残っており、少し怖いです。

 

次の職場でもパワハラを受けたらどうしよう…そんな不安を少しでも拭うために、自分で稼ぐ力を身に着けることを目標にこのブログを立ち上げました

 

このページでは、シャイニングフリーターの自己紹介として、これまでの人生を振り返ります。

体操教室と勘違いして、空手教室へ入会

 

母親に連れられ、空手教室へ。

 

同世代のちびっ子たちと一緒に体を動かし楽しくやっていると、届いた白帯と道衣。

 

黒帯を取るまで辞めてはいけないと親に言われ、絶望。

 

親に言われて始めた空手ですが、その後の人生に大きく影響を及ぼします。

 

大きな小学生

 

私は成長が早く、文字通り「大きな」小学生でした。

 

小学校入学時で身長は130センチ、小学校卒業時には170センチを超えていました。

 

体格が良い分スポーツも有利で、50メートル走は学年1位、体力テストは持久走以外満点でした(長期持久型ではなく、短期爆発型です笑)。

 

野球未経験でしたが、バッティングセンターのストラックアウトで110キロぐらい出ましたね(笑)

 

学校の授業はそこそこに、休み時間は校庭で思いっきり遊ぶ、そんな少年でした。

野球部に入り、忍耐と体力をつける(中学時代)

中学校生活が始まり、部活は野球部に入りました。

 

小学校から野球をやってきたメンバーが上手く、私は一度も背番号をもらえず。

 

声だけは認められて、応援団長として野球部を盛り上げました(笑)

 

 

高校野球などを見ると、球場でプレーしている球児たちに焦点が当てられるのは当然ですが、私はベンチで応援している3年生の姿を見て、中学生の自分を少し思い出してしまいます。自分が出られない試合でチームの勝利を100%願って応援するのはなかなか難しいものです。

 

進学塾へ通う(中学時代)

勉強面が疎かになってはいけないと、中学入学時から地元の進学塾に入りました。

 

その進学塾のおじいちゃん先生が厳しく、当時はもう、超怖かったです。

 

勉強ができないと、「やる気ないならやめてしまえ!」となるので、生きるか死ぬかのサバイバルゲームのようでした。

 

宿題の量も多く、授業進度もはやい。落ちこぼれないように必死に勉強していましたが、あの時の自分が努力し続けたおかげで、高校や大学入試を受けるにあたっての基礎が身に付いたのだと確信しています

 

子どもたちの可能性を拡げることのできる教師という職業に魅力を感じ、この頃から教師を目指すようになります

高校生活

 

高校では、空手部に入部します。

 

黒帯を取った後、野球と勉強で忙しくなり、空手は中1でやめていました。

 

どういうわけか、あんなに嫌だった空手をまたやりたくなったんですよね。

 

結論を言えば、その選択は、正解でした。

 

先輩・同期・後輩にも恵まれて、キャプテンとして非常に楽しくも充実した部活動生活でした。

 

京都大学を目指す

 

もちろん勉強も努力を続けました。

 

オープンキャンパスをきっかけに京都大学に憧れ、受験しましたが、結果不合格。

 

「大学入試の結果で人生決まる」

 

当時は本気でそう考えていたので、不合格という結果に絶望しました

 

やれるだけのことはやったのに20点も及びませんでしたから。

浪人生活

 

暗黒の浪人生活です。1年間必死に勉強しました。

 

部活もない、運動することもない、ただひたすら勉強あるのみ

 

心折れる暇もありません。

 

この一年を通して、学力の向上はもちろん、人間的に成長することができました。

大学時代、教員免許を無事に取得

 

浪人生活を経て、京都大学に入学した後、気が付きました。

 

勉強に対するヤル気がでない…と。

 

京都大学に憧れ、英語の勉強がしたいと文学部に入ったものの、「大学入試に合格する」という目的に全精力を使い果たしたんですね。

 

とはいえ、授業も始まるし、やるしかないと。

 

おまけに自分は教師を目指すため、教員免許を取得するために教職課程授業を受ける必要があり、授業コマがパンパンでした。

 

結局文学部の卒業要件140単位に対して、230単位ぐらい取得し、留年もせずにストレートで卒業しました。

 

超真面目に授業を受け、超真面目に卒業研究をして、教育実習をクリアして…。京都大学ではある意味「特殊な」人間だったかもしれません。

企業に就職したきっかけ

まもなく大学4年生というときに、特別講義を通してある企業の社長に出会いました。

 

教師になる前に資本主義の仕組みを学びたいと思った私は、彼に直談判を行い、インターンシップを申し込みました。

 

大阪の支店でインターンシップを始めるのですが、その支店の皆さんが一生懸命に仕事をしておられ、社会人の鑑というべき方ばかりでした。

 

私は、悩みました。

 

教師か、まったく興味のない不動産業界か。

 

結局、教師の採用試験を途中で辞め、そのまま新卒でこの会社に入社します。決め手は、大阪支店の皆さんの人柄でした。

 

教育実習で、実習先の教師たちに「京大の子って勉強ばっかりして、人の気持ちわからないんじゃない?気を付けてねww」などと毎日嫌味を言われたのも決め手だったかも…(笑)

会社員として、東京で働く

 

大阪支店でのインターンシップ経験を生かし、そのまま新卒入社をしました。

 

憧れの…とまでは言いませんが、やっぱり一度は暮らしてみたい場所、東京

 

東京に本社へ新卒で入社。ワクワクでした。

理想と現実のギャップ

会社に入ると色々と見えてくるところがあります。

 

東京では役員がゴルフボールを天井に向かって投げては、キャッチし、投げてはキャッチしを繰り返す始末でした(漫画で見る不動産屋だ…)。

 

「プロたちが能動的に仕事に取組み、効率よく業務を行っている」と聞かされていたのに、現状がまるで違う。体系的なんてものじゃない。

 

おかしいなと思いつつも、とにかく仕事量が多く、残業残業の日々。

考える余裕を失っていました。

(そんな中、半年で辞めていった東大卒の新入生がいました。さすがです。)

 

 

朝6時から仕事を始め、0時になっても終わらない。

働いても働いてももらえるお金は20万円ほど。

経営者にとっては、給料を出すだけでもすごいことですが、

このままでは、一生お金に余裕はできないだろうと痛感しました。

がむしゃらに仕事をしながら2年が経過する

辞めてやる!という勇気も気力もなく、財務部、営業部を1年ずつ経験しました。

 

そして、「京都大学を出ている君の頭脳を借りたい」とのことで、他部署から引き抜かれる形で異動したのですが、これが不幸の始まりでした。

 

自分がこれまで残した業績を見るのではなく、京都大学という出身大学が理由?と疑問に思いましたが、オファーの返事は一択です。

 

喜んで、お受けいたします!(‘◇’)ゞ

 

私もサラリーマンしてましたねぇ(笑)

異動先で心身を壊す

異動先の部長は、お世辞にも尊敬できる方ではありませんでした

 

業界柄(?)横柄な上司というのは普通にいるようです。

 

人格否定されないだけましだとか言っている社員もいましたね。

 

はじめは友好的だった態度の部長も、「なんでやってねぇの!?あ“?」と口調がきつくなり、こんなに追い込まれながら仕事しないといけないのかと悩みました。

 

「覚えてろこの野郎、部長だから、みんな嫌々従ってるって気づけよ。」と思いながら、大量の業務量をこなしました。

 

私は体力的な追い込みは耐えられても(月100時間の残業を繰り返しても、何とか大丈夫でした)、精神のストレスがピークになると耐えらえないようです

 

結局、社員歴3年にして心身を崩し、休職。

 

役員に相談しましたが、「お前が世間知らずだ」と。戻る部署もなく、余計に傷ついて会社を辞めることになりました。

 

人間関係って大事ですね。

辞めた部署は、これまで人がどんどん辞めていった経緯があります。胸倉をつかまれた社員もいたそうです。

 

役員の言葉を借りて、「世間知らず」な私が耐えられるわけがありませんね(笑)

 

会社員として働く中で、収入源が給与所得だけということに不安を感じるようになり、稼いだお金を投資に回し、配当金という不労所得を得ることに興味を一層深めるきっかけになりました。

 

このブログでも、私の不労所得に対する考え方や、取り組みをご紹介します。

シャイニングフリーター誕生

 

複雑な心境ですが、前を向いて歩いていくしかありません。

 

自分で稼ぐための力を身に着けたい、その取り組みが誰かの役に立てば尚更嬉しいと思い、サイトを立ち上げました。

 

生活に余裕はありませんが、心には余裕をもって生きたい、そんな気持ちから、輝くフリーターという意味で、シャイニングフリーターと名乗ることにしました。

 

試行錯誤を繰り返しつつ、少しずつ更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

2020年4月吉日 シャイニングフリーター

 

 

当ブログコンセプト

 

「人生楽しい」と思えるだろうか。

 

自虐的に「人生楽しい!」と言う大学時代の友人はいたが、

日々の生活をイキイキと心から楽しんでいる人は、少ないのではないだろうか。

 

(通勤電車に揺られ、仕事をして帰るだけの自分は楽しくなかった…)

 

仕事を通して勉強になることもあるが、別に楽しくはない。

 

昇進・昇格をすれば嬉しいし、興味がないといえばウソになるが、若手の頃は、昇進しても大して給料は変わらない。今年の年収はこれくらいだろうと予想できてしまうことも残念に思ってしまう。

 

だから、会社を辞めよう。…とはなかなか思えない。会社を辞めれば、金がなくなってしまう。当たり前だが、金がなくなれば、働かなければならない。今すぐに会社を辞めるというのは得策ではない。働きながら、少しずつ自分で稼ぐスキルを身に着けよう。そう思っていた。

 

人生は予想外のことが起こる。

 

楽しくはないが順調に社会人としての経験を積んでいたはずだったが、部署異動によって心身の不調を抱えることになる。

 

上司を選ぶことはできない。

 

高圧的な上司によって、いとも簡単に私の胃腸は壊れてしまった。

 

休職した私に戻る場所はなかった。別の部署で提案を受けるかと考えていたが、その提案すらなかった。「君はこの業界に向いていない」、「世間知らずだ」とのことだった。

 

ふさぎこんでいても仕方がない。とりあえず前を向いて、お金を稼ごう。

 

ついでに自分が稼ぐ取り組みを紹介して、友人・知り合い・知らない人にも少しの幸せを提供できるかもしれないサイトにしよう。

 

そんなことを考えつつ、今日も一歩ずつ前進する。